私はこのブログで度々、「キャンプは何をしていても自由」と書いてきています。
自分の感性で選んだギアやアイデアで、自然との共存や環境への適応を楽しむ趣味であると思っているからです。
私はキャンプのことを、よく「大人が秘密基地を作る楽しさ」と言う表現をしますが、どんな秘密基地であっても、それは個人の自由です。
他人のスタイルを否定することは、キャンプの楽しさの幅を狭めるものであると考えています。
自分だけのアイデアで、自分だけのキャンプを楽しむことができるからこそ、普段型にはめられている日本でキャンプブームが起こっているのかもしれません。
キャンプの楽しみ方を否定しない
キャンプの楽しみ方は人それぞれです。
キャンプで何をするかは決まっていませんが、キャンプで自由に使える時間は限られています。
その限られた時間を、誰にも縛られず、自由に過ごすのがキャンプの楽しみ方です。
気合を入れて料理を楽しむも良し、カップラーメンだけでひたすら焚き火を眺めるも良し、読書をするも、ゲームをするも、youtubeを見るも、個人の自由です。
私が言いたいのは、ここで「せっかく外に来たのにゲームをするのはナシだわ」とか「youtubeだったら家で見ればいいのに」とか、そう言った発言はあまり良くないのではないか、ということです。
(もちろん、音や光が漏れて周囲に迷惑をかけているような場合は除きます。)
▲作業が捗るので、筆者はキャンプ場でパソコンを使う事もある。
もちろん上記のような意見を持つことは自由ですが、それを相手にぶつけ、相手のキャンプスタイルを否定するような行為は褒められたものではありません。
確かに、焚き火に当たりながら読書をするのは絵になるけど、焚き火に当たりながらゲームをするのは絵になりません。
しかし読書でもゲームでも、世間体は気にせず、自分が好きなことをやれば良くて、それは否定されるべきではないと思います。
キャンプギア(道具)についても同じ事が言える
キャンプスタイルには、どんなキャンプギアを使うか、という点も含まれます。
世の中には多数のキャンプ道具があり、焚き火台一つ取っても、何種類もあります。
中には同じようなものもあり、値段の差やブランド、素材の差など、細かい違いがあることがあります。
しかし誰がどんなギアを愛用していようと、それに優劣をつけようとするのはやめましょう。
厳密に言えば、「自分が良いギアを使っている。見せびらかしたい。」と思うのは自由ですし、「みんな俺のギアに注目している」と感じるのも自由です。
本当に羨望の的かは置いておいて、その感情はギアへの愛着の表れでもありますし、それで自己顕示欲が満たされるのであれば、キャンプの楽しみ方として問題ないと思います。
ですが、その感情を外に出して「あのキャンプ道具は壊れやすい。俺の方が良いものだ。」と言う行為はNGです。
使われている素材や構造等を比較すれば、実際に優劣がつくものもあるかもしれませんが、それが事実かどうかは問題ではなく、「自分のギアが劣っている」という意見なんて聞きたくありませんし、キャンプは競い合う事が目的の趣味ではありません。
自分のギアは自分の中で最高だと思っておけば良く、全キャンパーが「自分のギアは最高だ」と思っていれば、趣味としてはそれで良いのではないでしょうか。
「スタンダードを押し付けない」を押し付けているわけではない
価値観の多様性について発言すると、「価値観を押し付けてはいけない、という価値観を押し付けている」という反論がありますが、それは間違っています。
それは世の中の様々な事柄に共通することですが、例えば、「差別はいけない」と言うと「あなたは差別をしている人に対して差別をしている」と反論してきます。
「相手が嫌だと感じることは言ってはいけない」と小学校で教わりますが、「それを言われて私は嫌な気持ちになった。」と反論してきます。
しかしそれは「良し悪し」という論点から大きく外れていますし、既に「価値観を押し付けてはいけない」「差別はいけない」という事が事実である前提の議論となりますので、成立しません。
その議論をする前に、そもそも「価値観を押し付けてはいけない」「差別はいけない」という事が正しいかどうかの議論に結論が必要です。
話が大きくなってしまいましたが、本テーマであるキャンプにおいても同じことが言えます。
論点は「『他人のキャンプスタイルを否定するというスタイル』を否定する行為の是非」ではなく、「他人のキャンプスタイルを否定する」行為そのものであり、前者の議論をするためには後者が正しいという結論が必要です。
そしてその結論があれば、この場のテーマとしては十分です。
IHの使用を否定されたことがある
そもそもなぜこんな記事を書こうかと思ったと言うと、私もSNS上でキャンプスタイルを否定された事があるからです。
私はアウトランダーPHEVに乗っており、ガソリンで発電した電気を使ってのキャンプを楽しんでいます。
▲OUTLANDER PHEVから延長コードを伸ばした様子。
私にとって電気は、ガスやオイルと同じ、燃料の一つでしかありません。
焚き火台で調理することもあれば、ツーバーナーを使うこともありますし、電気を使ってIH鍋を使うこともあります。
しかし、Twitterにて「キャンプでIH使うとか草」というリプライを貰ったことがあります。
▲焚き火や炭火を使わない時は、IHを使って鍋をすることもある。
その人のタイムラインを見ると、そもそもガス缶を使うことすら否定的で、フェザースティックを作って、ファイヤースターターを使って火をつけることに熱中しているようでした。
確かに、文明の利器を使わずに火を起こし、食事をするのはキャンプらしさがありますし、それが最高のスタイルだと思うのは自由です。
しかし、だからと言って他人のスタイルを否定して良いわけではありません。
他人のキャンプスタイルを見て否定的な意見を持つこともあるかもしれませんが、それを相手にぶつける行為は、キャンパーとしては無粋と考えます。
最近、他の方へのリプライやコメントを含め、「キャンプはこうあるべき」という意見を多く見るようになりました。
日本人は自分と違うもの、周囲から逸脱したものを否定する文化が強いですが、キャンプにおいては「人と違う方が格好いい」くらいの方が楽しい趣味になるのではないでしょうか。
スポンサーリンク競争意識がキャンプの楽しみを奪う
キャンプ人口が増え、SNS映えする格好いいor可愛いキャンプを多くの人が目指すようになりました。
自分の好みに合う、格好いい・かわいいキャンプサイトを作るのは、キャンプの楽しみの一つだと思います。
自分の好きなデザインに囲まれ、非日常を楽しむのも、楽しみ方の一つです。
しかし、そこで他人と比較して、勝ち負けを競い合う必要はないのではないでしょうか。
もちろん、お互いが了承の上で切磋琢磨していれば良いですが、そうではない相手に競争意識をぶつけることはすべきではありません。
競争意識を持つ事は良くて、競争意識をぶつける事がNG、という点が難しい点です。
競争して切磋琢磨していく事が、文化全体の進歩に繋がる、という意見は一理ありますが、それでも私は、キャンプは自分だけの世界で、究極の自己満足な趣味であって欲しいと願っています。
他人の評価を気にしてキャンプをしたって良い
キャンプは非日常であり、それを切り取った写真は非常にSNS映えします。
また、自分が頑張って作ったテントサイトが世間に認められ「いいね!」が押されるのが、気持ち良いのは間違いありません。
たまに「他人にいいね!を貰うためにキャンプをするのは間違っている」と言う人がいますが、それも間違っています。
「SNS映えする写真が撮れるのがキャンプの楽しみ」というのも、間違いなくキャンプの楽しみ方の一つです。
そこで他人との優劣をつけ、他人を批判することが問題なだけであって、どんな楽しみ方をしようと自由だと考えています。
私はあまり写真を撮るのが得意ではないので、Instagramもほとんどやっていませんが、自分のキャンプ写真が賞賛され、話題になるのはきっと嬉しい事だと思います。
スポンサーリンク自由を制限するものは、「迷惑行為」と「危険行為」
「キャンプは何をしても自由」と言うと、「他人のスタイルを否定するのも自由じゃないか」と言われそうですが、自由と言っても無法地帯であってはいけません。
あくまで、マナーを守り、「迷惑行為」と「危険行為」を行わないことが前提です。
迷惑行為には、他人を不快にするような言動も含みます。
また、危険行為と言うのは、最終的には迷惑行為に繋がるので、一纏めにすることもできるかもしれませんね。
確かに、「他人のスタイルを否定する自由」という自由もあるかもしれませんが、それは「自由を尊重する国なら、他人に暴力を振るっても良い」というのと大差ありません。
多くの人間と共存する社会的生き物である以上、自由には制限がつきます。
もちろん、暴力を振るうのとでは罪の重さが違いますが、理由の説明なのでその点はご容赦ください。
私が書きたい事はそれ程難しいことではなく、キャンプは自由な趣味であり、優劣をつける必要はない、ということです。
感想、まとめ。お互いに認め合ってキャンプ業界を盛り上げよう!
キャンプは様々な趣味の中でも珍しい、特に目的のない趣味です。
殆どの趣味は目的があるので、手持ち無沙汰になるようなことはまずありませんが、キャンプの場合、暇な時間が生まれます。
そんな時間を自然に囲まれて好きなように過ごすことこそ、キャンプの楽しみでもあるので、特殊な趣味であることは間違いありません。
また、キャンプ道具も値段の高いものから100円均一まで様々ですし、家にあるものをそのまま代用しても構いません。
しかし自由度が高いからこそ、他人の違いを認めないという、日本人の悪い部分が露呈してしまいます。
キャンプ場でゲームをしても、映画を見ても、パソコンをしても、音漏れ等の迷惑がなければ、それは個人の自由です。
誰かのキャンプスタイルが理解できなくても、「その人にその人にとっては、自然の中で行うに相応しいことをしている」という理解が大切ではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これもまた一つの意見であり、一つのスタイルであることを申し添えておきます。
皆でキャンプ業界を盛り上げ、人に自然に優しい業界にしていきましょう。